天使と茹卵

葉月十一日・二〇一〇 #659

「純粋転生批判なんて今時流行らないわよ」「そこだけ聞くと異端だな」「あら、魄体だって立派な資源よ。散逸させるには余りに勿体無いわ」「向こうさんの懐事情もそんな感じかい」「そ。だから魂の確保が至上命題って訳ね。魂魄のうち魂は高位存在だから手…

葉月朔日・二〇一〇 #645

「お客」だと。「ああ。件の騒動以来自粛気味だったんだがな、自分で確かめると云って聞かんらしい」件の、ね。関係者か。「どこぞのお嬢様だよ。継承が繰り上がったんだそうな」それでウチか。「嬢ちゃんはご機嫌だったぞ」随分と手際の宜しいこって。「………

葉月朔日・二〇一〇 #644

「景気はどうだ」馴染んだ顔のお出ましだが、それだけに色々警戒して当たれってことでもある。「お蔭様でと云いたいが。無理難題さえなけりゃあね」「なら景気のいい話をしてやろう」どうせまた厄介事だ。「まあ腐るな。お客をちょっとステイさせてやってく…

皐月十一日・二〇一〇 #562

前の”仕事”の時に取らされた資格だ。今、こんなに役立つとは思ってなかった。そしてこれが、あいつの安全装置。漆黒の翼を前に生命は容易く魂を明け渡す。哀しみに染め上げたその翼を開かずとも良いように。んなこと、面と向かって云える訳がなかろうが。俺…

皐月八日・二〇一〇 #560

「なあ、そいつをちっと役立ててみようって気はないかい」所在無げな男に声を掛けたのは別に偶然じゃねえ。"さる筋"からの有難いお仕事、って奴だ。「視えるのか?」訝しげな視線。「ああ。前置きはナシだ。告死天使、やってみないか。こっちは人手不足でな」…

師走九日・二〇〇九 #371

「……やむを得ん。往け」苦渋の決断。数えて十枚目の切札。赤と、黒。誰呼ぼう「総取り(ディーラー)」と。戒めを解かれ吹き抜ける、黒い暴風、紅い烈風。単身にして砲列、一刃にして一軍。異端の狂信者如きに崩せる法の壁にもあらず。その戦果は常に殲滅、頭…

霜月十八日・二〇〇九 #302

「また、振られちゃいました」父には冗談で云ったつもり。「莫迦は死なんと治らん」どうして、慰めさえなぜか空しいばかり。哀しみに染まった灰の翼を、娘と呼んでくれたひとと、その愛弟子だった、あの人。そう、結局のところあの人は兄で、私はどこまでも……

霜月十七日・二〇〇九 #300

心臓に悪い。この視線。色々な意味で。「こりゃ、多分クビだな」随分大人びたよな。「探偵でもやるかね、コネならあるしな」背中を預けるに足るのは認める。「助手……募集せんとな」何を云ってる、俺は。「帰るぞ、……」初めて名前で呼んだ日。早春の風に、純…

霜月十七日・二〇〇九 #299

これはお前、いくら何でも卑怯って云うだろう普通。物理法則とかあるんだが、聞いてるか? 訳のワカラナイままに俺は今空を、飛んで、いる? 非常に遺憾ではあるが、生殺与奪の権は余す所なく麗しの駄天使どのに握られているらしい。非常に宜しくない。降ろ…

霜月十七日・二〇〇九 #298

いきなり懐に手を突っ込まれれば誰だって吃驚するだろう? 要するに今の俺だ。まあ、最悪の事態は回避できたのだろうし、これで良かったのか。……いや、待て。それ、元はと云えば……俺の財布から持って行った分だろうが! 大赤字だぞオイ! 聞いてんのかコラ、…

霜月十七日・二〇〇九 #297

「さて、一応資格は持ってんだがな」「相変わらず悪趣味なことを云うな、君は」そう云いながら手中の髪飾りを、在るべき処へ。「これはあんたが持ってろ。俺には預かれん」彼女の掌に、もう一つ。多分それも、在るべき処に。「さあ、何処へでも行っちまえ」…

霜月十七日・二〇〇九 #296

「はは。そんな手があったか。親父殿もこれでは口も出せまいが」「行くのか」「まあね。こう見えて勘当されているような身だ。アレは君に預けとくよ」「知るか。お前の為にじゃねえ、精々くたばるな」パズルが戻る。交錯した時がまた動き出す。そこは天でも…

霜月十七日・二〇〇九 #295

それはそこには、そこにだけは有り得ざる「聖い」気配。気付かぬ程度なら、命などとうに落としている。全く同時に同じ方向を睨む男達。互いの行動に気付いたとき、自然と肚の底から笑いがこみ上げてくる。「何やってんだろうな」「お前が云うのか、それを」…

霜月十六日・二〇〇九 #294

「あん時もそうだったよなァ!?」「忘れたいんだがな」下らないことばかり思い出す。いや、かけがえのない思い出か。あいつも俺も理解しているのだ。放つのは紛れもなく殺気、狙うは常に一撃必殺。けれど、それは少し遠くから見れば。女達には、再会を歓び合…

霜月十六日・二〇〇九 #292

「ま、そう云う訳だ。俺はこいつを返しにきただけなんだが」なんて決まりの悪い。手を離す、もう目配せも要らない。駆ける。賭ける。互いの次の動きは理解している。咆哮と白刃が錯綜し、裂帛の一声すら輻輳する。「鈍ったんじゃないか?」「お互い様だろう…

霜月十五日・二〇〇九 #291

「……を。アポイントは取ってある筈だ」人の世に身を窶すには、それなりの備えを。誰が思う、其処こそは万魔殿の門と。昇降機は登りながら堕ちてゆく。掌から、熱と鼓動。開くフロアに、奇妙な静謐。そこはもう、ヒトの世でなく。隠しもしない魔を纏い、嘗て…

神無月十六日・二〇〇九 #188

自業自得と……云うことか? 見違えたぞ、このボロ財布め。とは云えそれで少しは気も晴れるなら、だ。が、またしても匣か。勢いで掴んだ手は放すに放せず。掌中の匣、懐中の匣。決意に変りなし、背中に憂いなし、胸中に覚悟あり。さて御曹司、我が相棒、旧き友…

神無月七日・二〇〇九 #157

「荒事になる。稽古は付けて貰ってるだろうが、甘くはねえぞ」頷きに含む、僅かな不安。なんてツラ、しやがる。決意の左手、躊躇の右手。不器用なのは今に始まったことでなし、握りしめた躊躇ごとその手を掴む。「さっき話した通りだ、お前にかかってるんだ…

神無月七日・二〇〇九 #156

「気ィ付いたか。飯、喰ったら出るぞ」迷って何になる。洗い流した筈の感触が熱く自己主張する。背中を預けても、大丈夫なのだと。背を向ける前に目が合う。上手く笑えただろうか。背中に小さな声。「髪、伸びたんだな」我ながら間抜けな声だ、そんなことに…

神無月七日・二〇〇九 #155

無茶しやがって。莫迦が、そうさせたのは何処の何奴だ。こんな小娘にまで、と思ってたんだがな。暫く唸ってろ。キッチンで。奪われた感触を振り払う為に水を飲む。これじゃまるで、俺が背負われてるな、と。腹拵えだ、起きるまでに作ってやろう。孤独な玉子…

神無月七日・二〇〇九 #154

時間は、あまりない。焦っても、仕方がない。これもいつかはパンだったに違いあるまい、と壜から一口含む。肚の底から全身に広がるのは、だから受難の茨か。グラスに氷と、冷蔵庫から茹卵。最後の晩餐にはあまりに貧相だが、等と呟けば玄関で音がする。結い…

神無月朔日・二〇〇九 #124

問う。誰が為に起こす撃鉄か。問う。誰に捧げる祈りか。答えなど、あってなきが如し。誰の責任でも、ない筈だ。女が一人、男の許へ駆け込んだ、それだけの事。誰もわかっていて、誰も止められなくて。俺は何がしたい。そうして何になる。少しだけ高くなった…

長月廿九日・二〇〇九 #114

ほんのひと月と経っていないのに。似た痛みは、けれどあの日と違うもの。逡巡はないと云えば嘘になる。あの野郎がそうでさえなければ、手荒い祝福の一つもくれてやるものを。祝福にはあまりに凶暴なそれは、ブランクを感じさせる事なく馴染んだ。電話をしよ…

長月廿八日・二〇〇九 #109

そこは世界を律する暗部。容ある信念のカタコンベ。己が名を認め、開く柩には半身。交代だ。誰を生かし、誰を殺す。委任状はこの手に。塒への足取りは、ただ重い。開け放した扉の向こう側に、だから気づきもせず。砂の心は、ただ涙を受け止めるだけ。熱だけ…

長月廿七日・二〇〇九 #105

「お戯れが過ぎますな」「現に彼女はここに存在できている。それに、彼女が望んだことだ」靴の音はあくまで冷たく、燭火は爛々と。「お父上から言伝は預かっております。違えるな、と」「ふん」アレは籠の鳥か?否。水音は途切れ、嫣然と。告げし者の裔、果…

長月廿七日・二〇〇九 #103

「悪いな」「良い運動にはなりました。流石、その辺りの見立ては……ですね」「その名で呼ぶな」「済みません。ただあの娘の、あれは……鎌ですか?また随分と物騒なものを。告死天使でもあるまいし」知っているのか、それとも。「局長から預かりました。すまん…

長月廿七日・二〇〇九 #102

元は白衣だったろう男は饒舌に語る。「触媒が必要だ。彼女自ら祝福したもの。肌身離さず持っていたなら尚いい。それと」ならば可能か。だが?最早帰すことは出来ん、それでも良いのか。「彼女がそれを望むと……思うかい?」一言多いぞ天使オタク。叩き付けた…

長月廿六日・二〇〇九 #093

頬を引っ張ってやるほどの器用さは俺にはない。突き放すには錆びすぎた。方々の昔馴染みを訪ね、積み上げた資料の山を、意外なくらいあいつが手際良く纏めてくれている。休暇の訳を訝しまないのは、知っているからか。「結論から云えば、可能だ」その一言に…

長月廿六日・二〇〇九 #092

大声をあげて泣くあいつは、なのに今迄で一番大人びて見えた。飲み干したカップを置き「行くぞ」ここに居るのは只の執行人。嘗て10-00「総取り」と呼ばれた、牙持つ子羊。「来るか」頷き。護るべきは背負った。ならば折れる筈などない。嗤うか、錆びた牙の傷…

長月廿五日・二〇〇九 #087

鼻腔にキナ臭いものが走った。ヤバい、決定的な手遅れの匂い。訳もなく走る。莫迦な生き方、とは自分でも思う。今更こんな物何になる。なんで俺は走ってる。修羅場離れて何年だ?ちったァ鈍ってろ、俺の勘。最悪だ、鈍ったのは躯だけかよ。所在なげに立ち尽…