2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧

皐月十九日・二〇一〇 #572

その木の下に、僕は埋まっている、ことを知っていてその前に立っている。いつか埋まる、のではない。紛れもなくこの今その時に埋まっている筈なのだ。そうでありながら、それを見下ろしている自分を自明のこととしている。埋まっている僕も見下ろす僕も、紛…

皐月十八日・二〇一〇 #571

「鶚」少女が呟いたのは、もう誰も忘れてしまった名前。南溟に着くほんの少し前、遥か高い空を音もなく横切っていった、あれがそうなのだと。「あそこに行くの」それは紛れもなく決意で。「行こう」一際巨きな塔を上る。空が黒くなるほどの高みに来てやっと…

皐月十八日・二〇一〇 #570

港に着いたのは杜亜を発ってより周天に月の二度巡った頃のこと。船を探すが、そこの近くを通ると云う者はない。聞けば、旧くより禁足地とされて久しい由。ようやっとまだ近い航路の渡りを取りつけたのは、じつにもうひと月の後であった。船は禁島の南西、南…

皐月十四日・二〇一〇 #569

かち、と窓辺で音がする。硝子の水風船が、薄い夜灯りに揺れている。冷えも、するはずだ。瓶から出た錠剤をブチ撒ける。白と、黒。机の上では、悪趣味な糖衣が陣取り合戦を始めている。ひと掴み、流し込む。あまりに明るいので、窓から空を見た。月は、ない…

皐月十三日・二〇一〇 #568

「隣人」たちの中でもとりわけ早くから、ヒトの幻想が招き寄せたものがある。竜だ。その力と叡智に肖らんとする思いからだろう。彼等の世界で彼等がどんな姿をしていたか知る由もないが、その記録ははるか古よりも遡ると聞く。古き鋼鉄の世の前に、魔道が世…

皐月十三日・二〇一〇 #567

ずっと昔、世界は「隣人」のことを忘れていた。古の都の一つが禁令を発し、それが端緒でその街は崩壊する。以来、「隣人」は再び現れるようになったと云う。それから大海嘯があり、霧の時代が始まる。古い叡智の多くはこの頃失われた。あの空高く舞うあれも…

皐月十三日・二〇一〇 #566

女はよく妾の為に死ねるかと問うた。死ぬ思いならしても良いが、些か割に合わぬな、と云うのが男の常の答えであった。臥所より改めて問われた男は今ばかりは是と答えたが、女は頸を縦には振らぬ。なれば諸共に、との言すら遮り生きよと云う。そして微笑む。…

皐月十二日・二〇一〇 #565

ゴールなど何処でも良いと発ったのはもういつの日か。溢れ返らんばかりであった荷ももうこの鞄一つになった。足許で、注意を促すようにエンジンが唸る。向けた視線の先に、色褪せたコンテナが横たわっている。傍らで紫煙を燻らす女は所在なげに、私の存在す…

皐月十二日・二〇一〇 #564

紙の書籍などと云うものの姿を見なくなって久しい。──紙魚、と云う生き物が居る。その、本、ようは紙に棲まい紙を糧とする、潰れると銀粉みたいなアレだ。無論、とんと見かけなくなって久しいのだが……どっこい、モニタの中のこいつは何だ。なんだ奴ら、電子…

皐月十一日・二〇一〇 #563

娘が見下ろすのは、原野だった。傍らに、気付けば若い男が寄り添うように立つ。「行くのかい」「母様にはああ云ったけど」「不安?」「それは、でも」「お父上の髄晶もある」「うん、それに」あなたが居てくれるでしょう、と云えぬ。違う生命だと、それは思…

皐月十一日・二〇一〇 #562

前の”仕事”の時に取らされた資格だ。今、こんなに役立つとは思ってなかった。そしてこれが、あいつの安全装置。漆黒の翼を前に生命は容易く魂を明け渡す。哀しみに染め上げたその翼を開かずとも良いように。んなこと、面と向かって云える訳がなかろうが。俺…

皐月十日・二〇一〇 #561

「精錬が済んだ、との報告だが」「想念誘導による祈軸制禦は成功。前回の鳴動で必要量の”恐怖”は確保できました」「楔だな。いや、鎹と云うべきか」「はい。余り時間を稼げる保証はありませんが、八周天ほどは引き延ばせるかと」「その間に……か。容易な仕事…

皐月八日・二〇一〇 #560

「なあ、そいつをちっと役立ててみようって気はないかい」所在無げな男に声を掛けたのは別に偶然じゃねえ。"さる筋"からの有難いお仕事、って奴だ。「視えるのか?」訝しげな視線。「ああ。前置きはナシだ。告死天使、やってみないか。こっちは人手不足でな」…

皐月八日・二〇一〇 #559

「警告。11時方向より敵性リソース。相対925/sで急速接近」独立型か。「支援型2機を随行。協調型広域射が予想されます。推定阻害値、28~62」初撃を防禦、リソース展開。「了解。出力86、論圧6.4M/sで防壁展開。広域射、着弾まで4秒」血の匂わぬ、ここは戦場。…

皐月五日・二〇一〇 #558

「ようこそ、命知らずのヒーロー志願者諸君。まずはここまで辿り着けたことを嬉しく思う。ついてはこれから諸君を選別せねばならぬのが心苦しい限りだ。今回の採用は一人。なに、難しいことではない。諸君らの中、最終的に生存した一名を採用とする。さて、…

皐月五日・二〇一〇 #557

道灌公の昔より、否、その原型は将門公まで遡れましょうか。ずいぶんと西、それはそれは昔のこと、「くまそ」などと申した頃に西より、何のご縁でしょうか地の底深く仕誂えられたのでございます。彼の黒櫃、「ふえつせんでん」などと申すそうでございます。 …

皐月五日・二〇一〇 #556

「縮退Eコンポジットは通常使用換算で700標準日の備蓄があります。目的地、星系”ソル”第三惑星周辺のE濃度は銀河標準の約千分の一。当該環境下での越界機関の直接運用は困難」通信もか。「はい。媒体濃度があまりに稀薄です」とは云え、赴くより他もない。そ…

皐月五日・二〇一〇 #555

ストレガの娘、とひと口に云っても二種類ある。一つは導きの魔女の智慧を嗣ぎ持ち帰り、女達に秘密を継承するもの。そしてまた一つは、ストレガの名と使命そのものを嗣ぎ、新たな世代の魔女たらんと育て上げられる"愛娘"である。どちらが上、と云うのではな…

皐月五日 二〇一〇 #554

「縛鎖結界第一、第二、異常なし。主音律安定」「内陣共鳴楔一番から六十四番までに旋律配分」「輻輳回廊、十六瞬後に形成します」「回廊形成。揺動値1.6。内陣結界と接続」「瘴律介入。第七を中心に半径百七十歩。縮退律で補正」「伽音廃都中枢、『偽・大音…

皐月三日・二〇一〇 #553

「風邪かい?」矢野顕子の歌のように尋ねる。キミがもし心細くあると云うならその心は高く薄くたなびいていて微風にも負けそうになっていて窓を閉めて暖かくしているだろうから。それは人には風邪を引いているようにしか見えないからと彼女は歌うが、キミは…

皐月三日・二〇一〇 #552

古い古い言葉だった。旋律に乗り紡がれるそれは最早知るものとて数少ない、遠い昔のうた。意味すら喪われて久しく、ただ人の胸腔を楽器として奏でられる音色に過ぎぬ筈のそれは、それでも酷く懐かしくも落ち着かぬ心地のうちにヴィジョンを齎す。それが、呪…

ついっ短歌・拾遺 その8『卯月』

分たれるときに抗い温もりの名残を惜しむ冬のプラズマ 嘘でいい、なんて願ったことたちが嘘でいいのは、ただの今日だけ。 蒲団さへ今は妬ましわたぬきの遠き臥所のきみをおもへば →「わたいりもいまはねたましわたぬきのとおきふしどのきみをおもへば」 今日…

皐月二日・二〇一〇 #551

報告書にはこうある。「人口:約100億前後/政治:域国家連合前期/物理技術:反応後期・航宙端緒期/越界技術:未確認。但しL線形期痕跡を認めるが、E濃度が極めて稀薄」悪い冗談だろう。融合期も時間の問題だと云うのに、越界技術が痕跡程度だなどと。一体…

皐月朔日・二〇一〇 #550

竜の護りも久しき杜亜の地が陸獣の蹂躙を許したのは、彼の古竜の片翼を喪って二年の後のことである。古には雲を衝くとまで云われた巨獣の、未だその巨躯は破城鎚にも等しい。だが、都城の落つるも間近と嘆き、仰いだ蒼穹の果より一条の光輝を見たのは、実に…

皐月朔日・二〇一〇 #549

ドワン、と湯気が立ちこめる。芳醇な蒸気だ。眼前にはボイルした腸詰の山。容赦なくフォークを突き立てる。ぶつり、とそれは破瓜にも似るか。その痛みに代って涙するほどに粒芥子を載せ、がぶりと頬張る。それで片手は埋まり、もう片手の休む道理もない。陶…

皐月朔日・二〇一〇 #548

ゴーグルを下ろす。顳顬にパルス痛。途端、辺りを覆う闇夜が嘘のように開ける。脳電直結式の限外視覚だ。加えて、拡張化された情報が視覚にインタラプト。さあ、支度は整った。覚悟はいいか、野郎ども。ハッチが開く。ここは成層圏、我ら「地獄の料理人」。…

皐月朔日・二〇一〇 #547

杜深い四阿に炊ぎの煙はたなびき、夜禽の声も谺する頃。男が戸惑うのも無理はなかった。先客とは、あの調べの奏で手に他ならなかったのだから。慎ましやかな身形とて、裡より湧き出る品位や風格を隠し仰せるものではない。女主人は悪戯げな笑みを浮かべ、若…

皐月朔日・二〇一〇 #546

ちろちろと朱く息づく焰が揺れる。嫋やかに舞う煙が時折にや、と笑みを浮かべて纏わり付く。都度に娘は顫えを堪えるが、眼前の魔女にはお見通しであろう。未だその面を、確とは向き合えぬ。「ふむ、合格。着替えな」「え」「愚図愚図しなさんな。行くよ」魔…

皐月朔日・二〇一〇 #545

畏敬と憧憬をもって、娘達はその名を口にする。少しでも、肖らんと。正教を甘んじて受け容れたと見えて、したたかなものである。異端なり忌むべき魔女なりと声高に叫びつつ、その訪来を待っている。女達にのみ伝わる噂。春、満月の夜、徴ある娘を連れ立てる…