文月廿七日・二〇一〇 #632

古より墓碑冥譜にはその字を使う習わしである。生者の言葉に触れさせぬよう、魂の安寧を損わぬよう、死せる者が黄泉返ることのないように。それは一字一字が鎮魂の祈り。同時に、他ならぬ放逐の証。学者が死者文字と呼ぶ、黒の穢れを封じるそれを識ることこ…

文月廿七日・二〇一〇 #631

気の早い虫がもう鳴いている。さっきまでの喧騒も、裏手の参道には遠い。見上げた空にかかる月は円く、白く照らされる項から目が離せない。からん、ころん。調子っ外れのメトロノームみたいに。微かな浴衣の衣擦れ。繋いだ手からバレてやしないか、この鼓動…

文月廿四日・二〇一〇 #630

「相変わらず叫びたそうだな若人よ」「……って、どこから見てたんですっ?!」「ふふふ。魔女なんぞと呼ばれるからには期待に応えてやらねばなるまい?」「いいですよ、どうせ」「甘えたい盛りであろうが。ほれほれ」「堕落させたいんですか」「いや? 予想以…

文月廿四日・二〇一〇 #629

「本当は電話くらい迷わずにかけられる思い切りが欲しいけれど、色々考えちゃうじゃないですか」「その色々があるからお前はそこまで止まりなんだよ」「タイミング悪かったら嫌じゃないですかお互い」「だからお前は……。いいか、向こうも待ってる、くらいに…

文月廿一日・二〇一〇 #628

幼かったぼくは父の棺に車の写真を切り抜いて入れた事だけは今も覚えている。かつて父が持ち帰ってきた、カタログの表紙。そんな事が無ければ乗り替えていたかも知れない車。もう動かないその胸許にそっと置いたそれは、幼いながらに考えて、せめて道行を照…

文月十八日・二〇一〇 #627

"いつでも探しているよ どっかに君の姿を"なんて、口に出したら最後だろう。そのフレーズだけで多分堪え切れなくなる。貴女をきっと、何にでも見出せてしまうだろうから。そう、せめてもう一度。 #twnovel 山崎まさよし「One more time, One more chance」 …

文月十八日・二〇一〇 #626

”明け方近く、貴女はきっと今頃眠ってる。貴女の夢を邪魔しないように、手紙を、書く”そんな歌の文句を思い出す。貴女の見る夢が”ぼくが夢に描いてるまるで夢みたいな夢と同じような夢”であること、それだけを願って。 #twnovel 高野寛「Love Letter/On and…

ついっ短歌・拾遺 その11『文月』

裏腹を恐れて言葉押し殺す撰んだ筈の言の葉でさえ 舞い降りたひとすじの糸結わえ付け真紅に染めよ小指が血潮 7/7 七夕随想 ポニテとか。思い出してはしまい込む、ココロの底のあの日のひとよ 思い出に浸る暇などないでしょう渡る夜舟のメンテは済んで? そう…

文月十八日・二〇一〇 #625

黒い猫は、ぼくらにはそれを見ることが出来ない。ほんとうは黒い猫なんか居ないんだよって、おばあちゃんは黒い猫を撫でながら云うんだ、ヘンなの。 #twnovel 黒い猫は影なのだとおばあ様は仰った。あたし達はその影を貸してもらってるだけなのだと。魔女だ…

文月十八日・二〇一〇 #624

だからきっと、シュレーディンガーが箱を開けた時猫は居ない。彼または彼女は「付き合ってられないし、付き合う義理もない」から。けれどあるいは、何事もなくするりと飛び出してきて、お気に入りの場所に上ってあくびを一つ、そしてくるりと丸まって吾関せ…

文月十八日・二〇一〇 #623

「箱の中で猫は世界を観測している」猫が急に居なくなるのは、他の場所や時代に行ってしまうからだと云う。ある仮説によれば猫は「自分の居たいところにしか存在しない」らしく、猫にとっては時間も場所も等しく、快/不快だけを観測して最も心地よいところ…

文月十八日・二〇一〇 #622

「ひょっとすると世界に存在する猫の総数って、思ってるより少ないんじゃないだろうか」そんな事を考えたのは昔家に居た猫そっくりの猫を見かけたから。ぼくは知らないまま終わる話なのだけど、これこそ「輻輳胞体宇宙仮説」の糸口なのだった。「箱の中で猫…

文月十七日・二〇一〇 #621

#stw01 猫と云えば箱が付き物だ。勝手気ままに箱に入り、満足したら出て来る。そして、猫にしてみればどの箱も中は同じらしい。あいつらに時間は、ましてや空間なんて関係ないんだ──つまり、入った箱と出てくる箱が違ったとしても、彼らには当たり前のことら…

文月十七日・二〇一〇 #620

金管楽器を弾いたような音のしそうな朝。明らかにそれは昨日までとは違うもの、そんな気がした。貴女もこんな空を見上げているだろうか。いや、見ていなくても構わない。同じ空の、あちらとこちらに確かに居て、きっと何かでつながっている。今はただ、それ…

文月十七日・二〇一〇 #619

昨日までの雨もすっかり晴れて眩しい街を、あてどもなく歩いている。囃子の音色も賑やかに、祭一色に染まる景色は、強過ぎる陽射しに色を飛ばされたようで、握った左手も空を掴むばかり。貴女を見た気がした場所ばかり色づいて滲むから、洗い流してくれれば…

文月十六日・二〇一〇 #618

からくり維新。かの天舟の齎した一大技術革新により、近年祭の風景も大きく様変わりしつつある。一際眼を惹く自走山鉾、中でもやはり見ものは筆頭にしてくじ取らず、関帝もかくやのあの摩天の大長刀。金襴と鉄甲にその身を包み、都大路を練り歩くは壮観の一…

文月十六日・二〇一〇 #617

箱。箱の中にはすべてがある。過去も、未来も、現在でさえ。箱の外には何がある? ぼくらはこの箱を知らない。箱の中に居ることさえ知らないのだ。いつか開かれるのだろうか? ある時、気付いたものが居た。彼は夢に見たまま、そっくり小さくした箱を作る。…

文月十五日・二〇一〇 #616

「止みませんね、雨」「そう云う季節だからね」「珈琲でも淹れましょうか」「無理しなくていい……って云っても無理か」「お嫌いですか?」「どうして」「知らない。何でも訊くもんじゃないです」「難しいな……じゃ、お任せで」「主体性がない」「厳しいなあ」…

文月十五日・二〇一〇 #615

「脳量子回路?」「意識の問題だ。物理的に存在する必要は無い」脳じたいに「場」を構成し、そこに干渉することで量子回路を模倣する──確かに革命的な理論だ。スパコンを常に持ち歩いているようなものなのだから。「しかも、コスト的にはほぼ零に近い」それ…

文月十四日・二〇一〇 #614

小さなヴォリウムで鳴らしていた音楽を止める。入れ替わりに聞こえてくる、色の無い音。相変わらず雨は延々降っている。電話は鳴らない。灯りを消して横たわるけど、朝になっても電話は静かなままだろう。電話から静けさが沁み出して、全部覆ってしまえばい…

文月九日・二〇一〇 #613

大門を潜り大路を行くが、思いの外盲が多いのに気付く。苦にする風ではないのは流石は音の都と云うべきか。塔に区切られる八門それぞれの区には各々決まった旋律が響く。街路毎にもまた僅かに異なり、聞き分けられれば何処に居るか判るのだと云う。律韻の都…

文月九日・二〇一〇 #612

「そうだね。夜自体は悪くないんだ」日頃の饒舌さが嘘のように。少し空ろに見えた。「ぼくがはしゃぎ過ぎただけだ、他の誰かが悪い訳じゃない」遠い昔を懐かしむような瞳で。「謝らないといけない」誰にかと訪ねる気にはなれなかった。先生のそんな姿は、見…

文月七日・二〇一〇 #611

アーケードを歩く。当てはなかったのだけどいつもの店でパンと野菜を買い、紙袋を抱えて坂を上る。ガラガラと景気のいい音がして、そう云えばさっき貰ったのはこの券かと、運試しに廻すけれど。外れた券は短冊になっている。 #twnovel 「逢いたい」とだけ書…

文月四日・二〇一〇 #610

静かにiBookに火を入れる。「♩〜」全然静かじゃなかった。 何のヒネリもない実話です。古いマシンって何かと音がおっきいよね。

文月三日・二〇一〇 #609

智慧の実を口にして我等は楽園を逐われたと伝える。殊更に罪を重ね、再び楽園に帰り着かんとする者達。天使を身に降ろし、自らを枷として生命の実をすら奪った彼等は人の枠から零れ落ち、或いはその身を異形と変じ。人は怖れと、恐らくは微かな羨望からこう…

文月二日・二〇一〇 #608

眩しくて目を覚ますと案の定、ベッドの上にふわふわと球電が漂っている。どうやらどこか苛つきながら床に就いたらしい。そのままにはしておけないので、アース線を片手に握りこみもう片手を光へと伸ばす。ぱし、と軽い音と痺れとともに光球は崩れ、オゾンの…

水無月晦日・二〇一〇 #607

鬱蒼とした蓬髪を、簾を上げるように掻き分け呟く。或いは人界の言葉ではなかろう声に気配が動く。暫くの後、更に大きく髪を掻き上げた男の片目は──虚であった。その奥に、脈打つように燐光がある。おずおずと、主を窺うように出てきたそれは、眼窩の縁に翅…

水無月廿九日・二〇一〇 #606

晴れを知らぬ街、雷の都と、人は呼ぶ。見渡す限りに林立する尖塔は燐光を帯び唸りを上げ、時折電光が空を渡る。元は避雷針であったのだろうが、寧ろ喚び寄せているとしか思えぬ。街を囲む八方位には一際巨きな塔がある。見よ、虚空に君臨する光輪を。落ちる…

水無月廿九日・二〇一〇 #605

目隠しをさせられた。この方が感覚が鋭敏になるのだと云う。いつもの様に弾むきみを見ていたいのに、が通じる訳もない。だからその分膚に意識を注ぐ。溢れる息と弾ける水音、微かに甘い芳香、触れる揺れる温もり、闇のなかにおぼろげにきみを見つける。なる…

ついっ短歌・拾遺 その10『水無月』

抽斗を整理してたら黒歴史 奥の院より汲めども尽きず いざ洗えみじかき脚の烙印刻まれしジーンズ拭えど消えず 煙瀝の絡める色に染む罪よせめて焦がるる吾をも包め 青くとも唐辛子の名忘るまじ眠れる獅子も噛まれりゃ吼える 今すぐにでも電話したいのになんて…